現在、ヤクルトスワローズで活躍中の奥川恭伸選手の野球経歴をご紹介します。
奥川選手は、東京ヤクルトスワローズ所属の右投げ右打ちの投手です。
まだ幼さが残ったかわいらしい顔からは想像できないような最速155㎞/hの切れのある投球をみせる選手です。
スリークオーター投法(オーバースローとサイドスローの中間であり、ややサイド気味に肩口からボールを投げる投法)からストレートだけでなく、フォーク・カットボール・キレのあるスライダーなど多様な変化球を投げ分けることができます。

・奥川選手の学生時代はどんな感じだったの?
・甲子園での成績は?
・奥川選手はどんな選手?
・年俸はどのくらいなの?
そんな読者の皆さんの一助になるべく、奥川選手についてまとめましたので参考にしていただければ幸いです。
奥川選手の野球経歴

奥川選手の誕生~プロ入りまでの野球経歴をご紹介します。
奥川選手の幼少期から学生時代までの経歴をわかりやすくまとめたものとなっています。
ヤクルトスワローズの若きエースである奥川選手の輝かしい野球経歴を一緒に見ていきましょう!
誕生
2001年4月16日、石川県かほく市で産声を上げました。
誕生した時には4000グラム超えのBIGベイビー。食欲旺盛で、よく動き回る赤ちゃんだったそうです。
父親・母親・7歳上の兄の4人家族。
父・隆さんは野球経験者。母・真由美さんは小学生からバトミントンを始め中学、高校、そして地元の実業団チームで約12年間プレーをしていた。そして兄も野球経験者というスポーツ一家。
奥川選手は幼いころから兄の背中を見て自然とボールに触れるようになり、兄の少年野球の練習を見に行っては動きを真似していたそうです。
3歳になる前には自らグローブをおねだり。一番小さいグローブを買って貰ったそうです。
小・中学校時代
真由美さんはバトミントンの動 きが野球のピッチャーの肘の使い方に似ていることに着目。
奥川選手が小学校1年生の時に真由美さんは自身のバトミントン練習に連れていき、奥川選手はそこから遊び感覚でラケットを振るようになり自宅でもバトミントンの羽根打ちをしていたそうです。
この経験から自然と右ひじの動きが身体に染み付いたんですね。
その後小学2年生の12月に地元の少年野球チーム宇ノ気ブルーサンダーに入団。本格的に野球を始めます。
この12月に始めたというのも、冬の練習で体作りをやっている時に始めることで、野球は打って投げるだけではないことをまず教えたいという両親の思いがあったそうです。
スポーツ経験者のお父さんお母さんならではの目線が輝いています。
現在の奥川選手の活躍は両親が縁の下の力持ちとして支えてくれていたからでしょう。
かほく市立宇ノ木中学校に進学し、軟式野球部に所属。
3年生の夏の全国中学校軟式野球大会では優勝を手にします。投手としてチームの全国制覇に深く貢献しました。
小学生から高校生までチームメイトの山瀬慎之助選手(巨人)とバッテリーを組みます。
小学校から一緒にプレーしてきた幼馴染と一緒にプロ野球で活躍できていることは本当にすごいことですね。
高校時代
名門である星陵高等学校に進学。入学直後の1年生春からベンチ入りを果たし才能を輝かせます。
そして、2年生の春の選抜大会から4期連続で甲子園出場を経験します。
最後の夏の選抜大会では、大船渡高校の佐々木朗希選手・創志学園高校の西純矢選手・横浜高校の及川雅貴選手と共に「高校BIG4」と言われ注目を集めました。
星陵高校エースとしてチームを決勝戦まで導きますが、惜しくも履正社高校に敗退。惜しくも準優勝で高校生最後の甲子園は幕を閉じます。
同じチームで戦った仲間の中には現在ヤクルトスワローズで活躍している1年後輩の内山壮真選手もいました。
その後2019年9月5日に行われた18歳以下の野球ワールドカップの2次リーグ初戦のカナダ戦に登板。7回を投げて18奪三振1失点の好投をみせます。特に、2回までのアウトはすべて三振。スライダーで14奪三振を奪う投球が高く評価されました。
続く2019年9月29日に行われた茨城国体の高校野球硬式競技に参加し、1回戦智弁和歌山戦に先発。球速150km/hを記録しました。
この試合は開門前から3500人が集まり、最終的に1万400人が観戦に訪れました。
高校時代から注目の的となる選手だったことがわかりますね。
プロ入り
2019年10月17日に開催されたドラフト会議。
直球153km/hに達し、大舞台に強く、高校生とは思えない投球術をもった奥川選手がどの球団に入団するのか。多くの野球ファンが注目した事でしょう。
巨人・阪神・ヤクルトの3球団から1位指名を受け、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得。
契約金1億円+出来高払い5000万円(出来高払いは5年目まで設定された)、年俸1600万円で入団となりました。
プロ野球での経歴

奥川選手のプロ野球経歴をご紹介します。
奥川選手は2019年10月にプロ入りを果たし、プロ入り前から注目を集め、無限の可能性を秘めた若きエースの更なる活躍に期待が集まっています。
それでは、入団当初から現在までの奥川選手の活躍を見ていきましょう。
2020年
プロ入り初の開幕は2軍スタートとなったが、初めての球場マウンドでの投球練習において捕手(古賀選手)とサイン交換をしながら41球を投げ151km/hを記録。注目のルーキーの初登板を視察にきていた首脳陣や高津監督にアピールしました。
練習後には「打者に立ってもらって、捕手にサインを出してもらって、メインのマウンドで投げさせてもらって、今までのブルペンとは違う感覚でした」と語っています。
その後、二軍戦初先発では好投をみせ自己最速の154km/hを記録。1回を打者3人に対して2奪三振を奪います。
奥川選手の好投は続き、二軍戦7試合に登板するも、合計19回2/3を投げ防御率1.83の好成績を残します。
この好成績が評価され、シーズン終盤の11月7日に一軍登録。
ヤクルトの2020年最終戦となる11月10日の広島戦で念願のプロ初登板初先発を果たしますが、2回0/3を投げて被安打9、2奪三振、5失点でプロ初黒星。プロ野球の洗礼を受けましたが、本拠地のファンからは温かい声援をうけました。
奥川選手は試合後、「初めて神宮のマウンドにあがって緊張感もありましたが、たくさんのヤクルトファンの方々の声援もあり、気持ちよく思いっきり投げることができました。」
「状態としてはあまり良くなかったです。初めてのマウンドにも対応できなかったし修正が出来ないままズルズルといってしまい早い回での降板は非常に悔しいです。もっともっとレベルアップしないといけないと思いました。頑張ります。」と初登板・初先発の感想を語りました。
2021年
2021年シリーズはオープン戦から登板し、前半戦は10日以上の間隔を開ける形で開幕から先発ローテションに抜擢。
シーズン初登板は3月28日の阪神戦。
続く4月8日の広島戦で2度目の先発登板。5回5失点をするも援護に恵まれプロ初勝利を挙げましたが、3・4月は15イニングで25被安打、防御率も7.20と投球内容は振るいませんでした。
しかし、ここで終わらないのが奥川選手。5月頃からストレートの球威も増し、多彩な変化球の制球も良好となり、被打率の低下に伴い、変則ローテーションながら先発の軸として活躍。飛躍を見せます。
交流戦以降は7試合連続無四球(与死球1)と抜群の制球を披露。投球もより安定感を見せ、プロ15戦目で初の100球越えを投げきり、球団新記録の4試合連続無失点リレーに貢献。
10月8日の阪神戦で、54回1/3イニングぶりの四球を出すものの6回2/3を1失点で留め、チーム6年ぶりのマジックナンバー「11」点灯の勝利を挙げます。
巨人とのクライマックスシリーズファイナルステージでは初戦の先発を任され、巨人打線を6安打に抑え、投球はわずか98球で9奪三振・無四球。20歳とは思えない完璧なピッチングでプロ初完投初完封を手にします。
20歳6か月での完封勝利はクライマックスシリーズ史上最年少記録更新となりました。この活躍によりクライマックスシリーズのMVPを獲得します。20歳での獲得は2007年パ・リーグのダルビッシュ有選手(当時21歳)を抜き、両リーグ合わせ最年少での獲得となりました。
オリックスとの日本シリーズでも開幕投手を任され、オリックスのエース山本由伸選手と投げ合います。
6回1失点で降板した山本選手に対して7回1失点の投球を見せ、直後の8回に村上選手の勝ち越し本塁打で勝利投手の権利を得るも、最終回にチームが逆転サヨナラ負けを喫したことでシリーズ初勝利は逃しましたが、日本を代表するピッチャーの山本選手と互角の戦いをした奥川選手に多くの賞賛の声が上がりました。
その後チームは見事日本一に輝きます。この優勝には若きエースである奥川選手の活躍が一助となっていることは言うまでもありません。
2021年はシーズンを通して、18回の先発を努めました。
奥川選手は先発陣の中でもずば抜けた安定感を持ち、四球数は105イニングでわずか10個、奪三振率は7.80とシーズンを通して高い制球力とコンスタントに三振を奪う投球を両立させる事が出来ます。
さらにチームトップタイ、9勝を記録。
どの記録を見ても奥川選手のずば抜けた投手力を感じることができます。
シーズン前半は振るわなかったものの、後半では本来以上の力を発揮。20歳ながら、大舞台でも緊張の色1つ見せず素晴らしいピッチングが出来るのは奥川選手の才能です。
年俸推移

| 年 | 年俸(推定) | チーム |
|---|---|---|
| 2020年(入団当初) | 1600万円 | 東京ヤクルトスワローズ (YS) |
| 2021年 | 1600万円 | 東京ヤクルトスワローズ (YS) |
| 2022年 | 3600万円 | 東京ヤクルトスワローズ (YS) |
奥川選手のプロ入り直後の推定年俸は1600万円です。
2021年度は、チームの柱としてチーム優勝に貢献したこともあり、2022年の年俸は2倍以上の3600万円となりました。
まだまだ若く無限の可能性を秘めた奥川選手のこれからの活躍と、まだまだ上がるであろう年俸にも注目ですね。
プロ野球成績[年度別]

| 年度 | チーム名 | 防御率 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 交代完了 | 勝利 | 敗戦 | ホールド | HP | セーブ | 勝率 | 投球回 | 打者 | 被安打 | 被本塁打 | 奪三振 | 奪三振率 | 与四球 | 与死球 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 被打率 | K/BB | WHIP |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2020 | YS | 22.50 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | .000 | 2 | 15 | 9 | 1 | 2 | 9.00 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | .600 | – | 4.50 |
| 2021 | YS | 3.26 | 18 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 4 | 0 | 0 | 0 | .692 | 105 | 413 | 99 | 11 | 91 | 7.80 | 10 | 2 | 3 | 1 | 38 | 38 | .253 | 9.10 | 1.04 |
2021年の輝かしい成績には目を奪われます。
特に奪三振数の多さ、与えた四球・死球の少なさが安定した制球・コントロールの良さを示しています。
今年の活躍に期待大です。
奥川恭伸選手の応援歌と登場曲

ここでは投手陣の応援曲と奥川選手の登場曲を紹介します。
YouTubeの応援歌・登場曲に関する動画をピックアップしましたので、参考にしていただけたら幸いです。
応援歌
引用:全国ツバメ軍団/[公式]投手汎用[東京ヤクルトスワローズ]
歌詞:闘志燃やして攻めろよ投打に輝き放て勝利をその手で掴み取れ「ゴーゴーレッツゴー!○○!」
登場曲
宿命〜official髭男dism〜
引用:sho-Nogi46-Giants/奥川恭伸マウンド登場曲宿命/official髭男dism
奥川恭伸選手のSNSを紹介

奥川選手のSNS活動について紹介します。
奥川選手はインスタグラムのアカウントを保有しています。
ぜひフォローして、奥川選手の情報をゲットしましょう!
インスタグラム
現在のところ、2021年1月10日の更新のみとなっています。
忙しいと思いますが、段々とインスタグラムを活用して奥川選手のプライベートや練習風景などが見られたら嬉しいですね。
まとめ

奥川選手の野球経歴・年俸やSNSをご紹介しました。
可愛らしい顔からは想像できない大舞台でも動じない精神と鋭い投球。
ヤクルトスワローズの若きエースから目が離せませんよ。
奥川選手の更なる活躍を一緒に応援していきましょう。

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